お母さんへ
今日は仕事から帰ってきたら、なんだか本が無性に読みたくなって(ジムも定休日だし)、
すぐに母がつくってくれていたご飯を食べて、お風呂に入って、それから「家族への夢」という本をもくもくと読んでいた。
小学生くらいの子から100歳を超えた人までが真剣に考えた「家族への夢」。
当然のことながら、親への感謝、家族がそばにいることのありがたみ等が書かれていた。
みんな人の子。親がいて、子がいることの事実を改めて認識させられた。
人間いつ死んでしまうかなんて分からない。
だからとりあえず母への気持ちをこのブログに今日書いておこうと思った。(今流行の「今でしょ?」的考えで。)
ぼくが先に死んだとき(ぼくはキューブラー・ロスの考えで死をさなぎから蝶になると解釈しているけど)、
なにかのきっかけで、見てくれるかもしれないと思ったから。
ちょっと恥ずかしいけど(いやほんとはだいぶ)、よかったら見てください。
お母さんへ
小さい頃の記憶って結構途切れ途切れで本当に印象に残っているものしか覚えていないのだけれど、
お母さんがぼくにしてくれた思い出みたいなものはけっこう覚えてるつもりです。
ぼくの記憶があるのはたぶん4歳ぐらいのときからで、
その頃の自分を客観的に考えるとやっぱり変わってて、手間のかかる子どもだったと思います。
心配ばかりかけたと思います。
たとえば、特にすることもないのに、友達と遊ぶのがなんとなくイヤで、ひとり家に閉じこもっているのが好きだったから、
よくお母さんには「友達に電話して遊ぶ約束しなさい。」と怒られたことを思い出します。
きっと引きこもりになるのを心配してくれていたんだよね。
そんなこととは露知らず、ぼくは嫌々友達に電話をかけていた。
実際遊べばすごく楽しいの分かってるのにね。
おかげでなんとか今、社会人として生活できているのだと思います。
あと、ぼくは折り紙が苦手中の苦手で、幼稚園でうまく折れなくてよく泣いてた。
これは今でもコンプレックスで、人の輪の中で、自分だけできないことがあるととても苦しくなる。
そんな僕とは正反対にお母さんは器用で絵がうまくて、よくドラゴンボールの絵を描いてくれたりした。
それがぼくの自慢だった。ぼくのために何かつくってくれることが嬉しかったんだと思う。
自慢のお母さん。
それと、星のカービィ事件。(と勝手に呼んでいる)
当時星のカービィが大好きだった僕は、いつもポケットに”小学一年生”みたいな雑誌に付いていた
カービィの付録を入れていた。大好きなものって、手放したくないでしょ。
ある日、ポケットにそれが入ったままぼくは知らずに自分のズボンを洗濯カゴに放り込み、
お母さんもそれを知らずに洗濯した。
その後ぼくは紙くずになったそれを見て公園かどこかで大泣きしたと思う。
「なんで洗濯しちゃったの、バカ」って。
本当に馬鹿な自分。だけどそれを「ごめんね、ごめんね。」とただただ謝ってくれた。
お母さんのせいじゃないのに。僕はすごく泣き虫だった。
食べ物の好き嫌いに関してはたくさん怒られた気がします。
ぼくにとって我が家の夕食の週に1回ぐらいは自分の好きなものがないときがあったと思う。
今思えば体のことを考えて、子育てに家事をしながら、一生懸命つくってくれた夕食。
それを見てぼくはよく「美味しくなさそう。食べたくない。」と言った。
一度それを聞いてお母さんが「もうあんたは食べなくていい!!!」とすごく怒ったときがあったの覚えてるかな。
あのときの僕にはお母さんの気持ちなんて考えてもなかった。
幼稚園か小学校低学年のときだと思うから仕方のないことかもしれないんだけど、今思い返すとなんだかくやしくなる。
そのあとぼくは泣きながら無言でその日の夕食を食べたことを覚えている。
お母さんはどんな気持ちだったのかな。
こんな子産まなければ良かった、って思ったかな。
中学3年生の卒業旅行。
直前になって麻疹にかかって行けれなくなったとき、ぼくはお母さんが台所で隠れて泣いたのを知ってる。
居間のこたつに入って転んでいたとき、すすり泣く声が聞こえてきたから。
すごく申し訳ない気持ちになったんだよ。
だって、ぼくのことすごく想ってくれてるんだ、って思ったから。
あと、これは最近だけど24歳のとき。一方的なカミングアウト。
ちょうどその頃、ぼくは1年間の海外生活から日本に帰ってきて、
海外でのゲイの認知度や、カミングアウト・レターという本を読んで、
それらに感化されて「自分もカミングアウトしよう、
多分この機会を逃したら一生ゲイであることを親に隠してしまいそう」と思った。
だから3日間ぐらいかけてお母さんに手紙をつくった。
どうやって渡そう、どうやって渡せば自然だろう、っていろいろ考えてみたけど、
結局いい考えは浮かんでこなかった。
手紙をつくってから少し時間が経って、ある日お母さんが出かける直前、
「これ読んで。」ってそっけなく渡したと思う。
「なにこれ?」って聞かれたと思うけど、「いいから、読んで」って。実は心臓バクバクでの状態で。
その夜、家に戻ってきたお母さんは何も言わなかった。いつものお母さんだった。
ぼくはどうしていいか分からず、ぼくもいつもの感じを取り繕った。
その数日後、「手紙のことだけど。なんとなくそう(あなたがゲイであると)思ってた。」と言われ、
ぼくは驚くと同時に、すごくほっとした。
いわゆる”肩の荷が下りた”状態。とてもとても重い荷物を一緒に持ってくれる人をつくることができた、って思った。
その後どれくらい同性愛の世界を理解しているのかはよく分からないけど、
ぼくのことを理解してくれていれば、ぼくには問題ではなかった。とっても心強かった。
でもあの日、もしかしたら泣いたのかな。
そう思うと、心が苦しいです。
今のぼくは宙ぶらりんな状態です。
ぼくが超頑固なこと知ってるから、黙ってるんだと思うけど、本当は不満がいっぱいあると思います。
だけど、やりたいことがあるから、できたらそのまま見てて欲しい。
ぼくだって、せっかくお母さんからもらった人生、全うさせたい。
不器用な自分なりにでも、納得できるものにしたいのです。
時間がかかるけど、
お母さんがどのくらい生きることができるのかも分からないけど、
まだ何も親孝行できてないけど、
好きな人も一度も紹介できてないけど、
どうかまだ生きていてください。
見届ける価値があるものにしたい。
25歳。こんな変てこな人間に育ってしまっているけど、ぼくは今の自分が結構好きで気に入ってます。
不細工だし、頑固だし、人と喋るの苦手だし、運動音痴だけど、
ゲイの友達もいて(こんな自分でも!)、好きな本をたくさん読んで、毎日美味しいものを食べることができて、
仕事に精を出せて、こんな毎日が本当に幸せだと思っています。
職場の人に「山ちゃんがこんな感じに育ったのは、お母さんの育て方が良かったんだね。」と
よく言われます。ちょっとぼくは、お母さんが誇らしくなります。
それに今のお母さんは仕事をして、家事もして、自分の時間なんてほとんど取れないのに、
文句も言わずご飯を毎日ちゃんとつくってくれているのは、ぼくはそれがとてもすごいことだと思う。
感謝してもし切れないのです。
ぼくはご存知のとおりゲイで結婚はできないけど、結婚するならやっぱりお母さんみたいな人がいいな。
そりゃ結構不機嫌な日もあるけど笑 それも人間っぽくて、ぼくは好き。
だから、
お母さんの子どもで良かった。
簡単に書いてしまったけど、そんな感じです。
文章や構成も下手でごめんなさい。まだまだ力不足だね。
それではまた。
大好きー。
ひろき