やまもとひろきのおもいで貯蓄。

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facebookでカミングアウト

   

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年も明けたので(?)先日、facebookでカミングアウトしました。
以下はfacebookに載せた文。
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改めまして明けましておめでとうございます。
いつもぼくの投稿を見てくださってありがとうございます。
新しい年になりまして、1つ決心したことがあります。
ひとつ、隠し事がありました。
今まで多くの人に言えなかったこと。
それは、ぼくが同性愛者であるということです。
男の人を好きな男、ということです。
気付いたのは高校生くらいの頃(かな?)でして、
それまでは普通に女の子が好きでした。
でも今のぼくの思いは、男が女を好きになるのが普通だなんて
誰が決めたのだろう、ということです。
同性愛に関するいろんな本を今まで読んできましたが、
同性愛者はいつの時代にも人口の5%は存在しているそうです。
簡単に言うとクラスに1人同性愛者がいるレベルだそうです。
言ってみれば社会的少数派。でも確実にみなさんの周りにいる人たちです。
ぼくは、同性愛に限らず多数決で正解と間違いを間単に決めてしまうような世の中は
もうまっぴらだと思っていまして、一般的な概念がたまにとても鬱陶しくなります。少数派がいつもすごく弱く感じてしまうので。
そんなものに囚われていたくないし、本当はそうじゃないはずで
金子みすずさんの詩みたいに「みんなちがってみんないい」はずです。
この詩の本当の意味がここ最近わかってきたような気がするんです。
誰もが個性があり、誰も誰かを否定することなんて本来できないはずなんです。
尊重すべきはずなんです。
世界から見るとイスラム教だったら同性愛は発覚したら有罪だし、
キリスト教も同性愛に寛容ではないです。
日本では「同性愛は病気だ」と公共の場で言ってしまえる政治家さんもおられます。
まだまだそんな時代なんですね。
平等を謳った法律なんて関係ないので結婚もできないし、勝手に病人扱いされる有様です。日本はぼくから見てもすごく保守的な部分があるので、しょうがないかなぁとも思いますが、別に同性愛者に生まれたくて生まれたわけじゃないので
ちょっとくやしかったりもします。
「あれ?人類みな平等は?皆知ってるよね?」みたいな笑
ぼく、人間なのかな?と悩んだこともあります。
学生の頃にはクラスのみんなが「どの子が好き?」って言っているなか、
誰にもほんとのことを言えないことにしんどさを感じていたこともあります。
自然と人と深い関係になることを避けている自分がいました。
そうやって成長してきた自分は傍から見たら不幸なのかもしれません。
でも、そろそろ嘘をつくことを止めたいなと思います。
一期一会。せっかく出合えた人たちにこれ以上隠して何になるんだろうか、と。
人間、隠し事も必要だと思います。誰にだってそうです。
だけどぼくにとって自分が同性愛者であることをみなさんに隠すことは
どうしても必要なことだとはもう感じられないのです。
もちろん「男好きの男なんて気持ち悪い」とか、「何で黙ってたんだよムカつく」みたいに思われる方もいると思うんですけど、それはそれでいいんだと思います。
誰にだって好き嫌いがあって、ぼくだってゴキブリが嫌いだし、蜘蛛も苦手だし、よくイライラする人たちも苦手です。
(ちなみにアップルパイは大好きです。)
好きじゃなければ離れればいいし、好きならもっと近づけばいい。
人間そんなものなのではないでしょうか。
ぼくは今の自分を愛しているし、誇りに思っています。
強くなったね、と褒めてあげたいくらいに。
ゲイじゃなきゃわからないことも世の中にはたくさんあるんです。
一生黙っていることもできたのだけど、皆さんにも何かいい気付きになればなぁと
思って今回カミングアウトすることにしました。
もし「前から知ってたよ。」みたいな方がいたらごめんなさい笑
黙っててくれて感謝です。逆に「全然気付かなかった。」っていう人、
もしよかったらこれからもお友達でいてください。いやならしょうがないんだけど、
それでもやっぱりぼくは友達でいたいなぁと思うわけでして。
でも、ぼくのことを知っている人にこの内容を言いふらすのは
できたらやめてください。
ぼくも繊細で傷つきやすい人間なのでまだまだ怖いんですね。(臆病!)
幸いゲイの友達はたくさんいて、みんな素敵な人たちばかりなので
ご安心ください。孤独とか、そういうのはないので。
ちなみにぼくの顔に描かれている『NO H8』は、カリフォルニア州における
同性結婚を禁止する憲法改正『Proposition 8』に対して、カメラマンAdam Bouskさんと、そのパートナーさんにより行われている無言の抗議運動です。届かない声の象徴として口にテープを貼って、頬にNOH8(ノーヘイト=偏見なし)のペイントをして、たくさんの著名人が参加しています。
偏見のない世の中なんてありっこしないのだろうけど、
それでもダライ・ラマが言うみたいに、ひとりひとりの心のなかに安らぎと平和を
求める気持ちが高まっていけばいいなぁ、と思います。
そうしなければ世界の平和(=偏見のない世界)を達成することはできないはずなので、ひとりひとりがそういうことをちゃんと意識できる社会になればいいなぁと思います。
誰もがありのままに生きられる社会。素敵ではないでしょうか?
ということで、新年早々長文失礼いたしました。
みなさんにとって良い一年になりますように。
ぼくはすごくいい一年にしてみせますー。
ではまた。
やまもとひろき

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実は前々からfacebookで友達にカミングアウトしようと考えていて、いつがいいかと悩んでいたのですが、
年が明けて新しい気持ちになれる今がいいかな、と思い告白しました。
文章は意外とスルスル出てきて、世間に自分の伝えたいことが既に自分の中で固まりつつあるのかな、なんて思ったりしました。
投稿のボタンを押す前は何度も見直して、無事投稿が済むと
「ほっとした気持ち」と「嫌われちゃうかな」という気持ちが混ざり合っていてモヤモヤしながらその日は床につきました。
翌日はなんとなくfacebookを開く勇気もなく(ほんと臆病w)
翌々日にコメントを見てると、杞憂でした。
みんな優しくて、ぼくをちゃんと認めてくれていました。
ほんとに感謝。
今考えると、ぼくが生まれる前の同性愛者の人はいったいどうやって想いを伝えていたのでしょうか。
SNS以前にメールもない時代、きっと今のぼくよりたくさんの吐ききれない想いを抱えて生きていたのではないかと思いました。
そう考えると、今はこうやってSNSを通して伝えたいことを簡単に大勢に伝えられる。
便利な時代だなと改めて思いました。
面と向かって自分が同性愛者だと伝えるのはすごくすごく勇気の要ることだから、
この時代に生まれていなかったらぼくは永遠と友達にそれを伝えられられていなかったと思うんです。
幸運だな、とつくづく今回思いました。
時代の流れは少しずつ亀みたいな鈍さだけど確実に同性愛者にとって良くなってきているように感じています。
ぼくはこれからも生まれてくる同性愛者の子たちのことを考えると、やっぱり今生きている人のカミングアウトが
どうしても必要ではないのかと思っています。
テレビとかに映るゲイじゃなくて、身近な人間のある意味生の告白が、人に気付きを与えるのではないかなと思います。
だから、もし「カミングアウトしたいけど未だにできてない」っていう人がいたら、簡単にやれなんて言えないのですが、
やる価値はあって、覚悟を背負っておけば後は怖くないから挑戦してみてほしいのです。
カミングアウトの価値なんて人それぞれ違うのだけど、
自分の生き方が楽になるのは確かだと思うので。それってこれからのことを考えるとすごく大きなことなわけで。
もっともっと良い時代になりますように。
できますように。
ではまた。

 - おもいで。